1260年 ゼデミューンの戦い

July 6, 2019

1259年 

神聖ローマ帝国のフルダイ修道院が、既に手を離れてしまった(手に負えなくなった)ハーメルン市の実権をミンデン司教区に売却した。

1260年 

7月28日、ミンデン司教区がハーメルン市に宣戦布告した。廃村ゼデミューンデで戦闘があり、ハーメルンの若者が大勢が死んだ。その結果ハーメルン市の最大勢力だったエーフェルシュタイン家が敗北した。この戦闘の際にハーメルン市を守ろうとした若者が大勢捕らえられ皆殺しにされた。9月13日、ハーメルン市の実権をミンデン司教区とヴェルフェン家率いるブランシュヴァイク=リューネブルク公国とで折半すると言う取り決めが交わされた。

1277年 

ハーメルン市のボニファティウス律院とヴェルフェン家との間でハーメルン市の権益に関する取り決めが交わされたている。実質的にヴェルフェン家が乗っ取ったということだ。

 

上記に書かれている若者の年齢に関する正確な記録はありません。

 

当時の常識としては子供・若者という概念はあまり無く、基本的に6歳を超えたら大人と同じ扱いを受けていたようです。

「若者」という記述が残っている以上、「大人(一人前)未満」であり、かつ6歳以上であった事が読み取れていた。

つまり農家の子供や職人の徒弟などが、戦闘に参加したと推測できる。となれば大人は戦わなかったのか?そんな疑問が湧いてくる。

ヴェルフェン家の軍隊に対して子供だけでは戦闘にならない。「子供が戦った」と言う記録が残されているという事は「それが歴史的に特殊なこと」であった。戦闘で大人が死ぬのは「当たり前だから」です。

「若者が戦い死んだ」と言う記述はもちろん大人も大勢死んでおり、その上で「大勢の子供も戦いに参加し死んだ」、つまり「特筆すべき痛ましい事件だった」と解釈できる。

 

次回は、興味深いゼデミューンデの戦いを更新します。

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