シャルロットとヨゼフィーネ

May 22, 2018

シャルロット・コーディーとヨゼフィーネ・ダルク

シャルロットは王宮楽団の指揮者として才能を開花させていた。

40歳の頃にシャルロットは、ネーデルラントからの移民の家系の長男であるルートビッフィ・ヴァンに思いを寄せるのであった。

ルートヴィッフィ・ヴァンは作曲家であった。

シャルロットは彼の才能にのめり込んでいきパトロンとして支援を惜しみなく、宮廷楽団での演奏も行わせ自身でもタクトを踊らせていた。

当時のルートヴィッフィ・ヴァンは甥っ子のカールを跡継ぎにと悩んでいたが、カールは音楽的才能には乏しかった。

カール自身も厳しい音楽教育に堪えかねてピストルで自殺を図るが頭部に怪我を負い未遂で終わった。

その事にもシャルロットは献身的にルートヴィッフィ・ヴァンを支え、カールの学費にも多くの支援を行っていた。しかし、カールは軍隊に志願し入隊してしまうのであった。

ルートヴィッフィ・ヴァンの落ち込みは、身体的な健康も害わしていった。発熱を伴ったリュウマチ性疾患を発症させた。6週間以上にわたって病床に陥ってしまうのであった。

身体的打撃は大きくあった。こうしたことから外出が減り、人との交流を取らなくなっていった。当時シャルロットは王の側近として権力を着実に握り始めていた。多忙となって行ったシャルロットは、21歳年下のヨゼフィーネにルートヴィッフィ・ヴァンの世話をさせることにした。ヨゼフィーネに定期的に通わせたのだった。

シャルロット、ルートヴィッフィ・ヴァンが40歳、ヨゼフィーネが19歳の時であった。

 以後、シャルロットは野望の道へと本格的に突き進んでいった。

ルートヴィッフィ・ヴァンは献身的に世話をしてくれるヨゼフィーネに心を奪われていくのであった。しかし、ルートヴィッフィ・ヴァンは作曲家の表の面と、シャルロットに情報を流すスパイとしての裏の面もあった。

魔女と契約する事により作曲家としての名声と地位を得たのであった。シャルロットとの契約を行っていたルートヴィッフィ・ヴァンは、作曲する全ての曲をシャルロットに献呈しなければならなかった。しかし、献身的に自身の世話をするヨゼフィーネの為に「希望に寄せて」を作曲するのであった。シャルロットからの依頼されているオペラ曲の作曲を途中においてであった。その現実を知らずにシャルロットはルートヴィッフィ・ヴァンのパトロンとして支援を行い続け、世情の動きの情報を得ていたのであった。が、ある時、依頼した曲の楽譜が届けられた中に、依頼の記憶にない楽譜が入っていたのであった。楽譜の表紙には、ルートヴィッフィ・ヴァンの下手な直筆で、「ヨゼフィーネの為に・・・」と書かれてたあった。シャルロットの嫉妬の怒りは一気に沸点を超えたのであった。シャルロットは兵士数人をルートヴィッフィ・ヴァンの家に走らせた。「耳を潰して来い!」その命令に従って兵士は、寝入っているルートヴィッフィ・ヴァンを押さえ込み耳を潰し聴こえなくしたのであった。

 その頃ヨゼフィーネは、姉の月詠みの魔女クライシスの居る北の革命軍の本拠地に向かっていた。シャルロットは聴こえなくなったルートヴィッフィ・ヴァンを地下牢に閉じ込め作曲に勤しませていった。聴こえない耳と顔全体をピアノに押し当て骨に音を響かせて作曲を行っていったのであった。

聴こえないことと監禁と作曲からのストレスを解消する様にワインを大量に飲む様になっていくのであった。

「残念、残念、もう遅すぎる」と呟きながらワインを飲むルートヴィッフィ・ヴァンは気力さえも衰えていくのであった。

幻覚を見る様になり、オペラ劇場で指揮をしているかと思えば、神と話し、ヨゼフィーネを呼び続け、歌い、笑い、泣いた、

ルートヴィッフィ・ヴァンは最後にこう言った。

「喝采せよ、シャルロットよ、喜劇は終わった!」。

ルートヴィッフィ・ヴァンは昏睡状態に陥っていった。

冬の雪の午後5時45分頃に呼吸が止まった。

56年と三ヶ月の人生であった。ヨゼフィーネは情報として、その事実を北の革命軍の本拠地で知ることになるが、真実はシャルロット・コーディーに訊くまでは分からないと自身の心に言い聞かせるのであった。

ヨゼフィーネ35歳の時であった。

 

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