自由な演技が全て

演出の構想が役者の構想を抑制させてしまう。昭和(工業社会)ではそれでよかったが、平成令和(情報社会)ではそうはいかない。

昭和(工業社会)の終わり頃より、人は変わり始めたのだ。それが平成で変わってしまって、令和に引き継がれて、変わった人たちが社会を支えている状況になっている。

社会は便利になり、掌に小型パソコンを持てる時代となったのだ。

その反面世界では気候変動に環境変動と地球が不健康になり、地球自体で健康に戻れなくなってしまったのだ。

そんな状況の中で、飛び交い溢れる情報と乱れていくコミュニケーションにより、人は想像する能力を手放してしまったのだ。ここが問題となっている。

演出の構想で象っていく演劇だが、演出自体に想像能力が薄まってきているせいで、演出ではなく、自分勝手な作り手になってしまってるのだ。そのことにより、能力に至らない上に高度な演出を行おうとして、経験のない机上の空論的な発言と実行が行われ、役者を壊していく。

演出適応年齢ってのがある。

それは35歳からである。その年齢までに経験を積んでいないと演出としての役割を果たしているのではなく、単なる独裁者、暴君となってしまうのだ。

では、演出の仕事をどうすればよいのか?何をすればよいのか?

演出は「役者を育てる」という仕事に変わってきたのだ。

それは昔からの演出もそうなのだが、昔よりもそちらの割合が大きくなったと言える。

なぜか?

それは役者の想像力を増幅させ経験により能力として培わせ成長させなければいけないからだ。

演出の構想と実行で役者を操り人形にしてしまってはいけないのだ。

役者の構想を活かした実行をさせなければいけないのだ。

そうすることにより、役者の活動能力の増幅を図ることができ、抑制された演技ではなく、役者の自由な演技を活かした舞台を形成していくことができるのだ。それによって観客に伝えることができ、観客の心を掴むことができるのだ。

演出の構想と実行、そして役者の構想と実行、どちらも必要であるために、協業していかなければならない。

その先に素晴らしい結果があると信じなければいけないのだ。


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