自分に「恕」を、それから目の前の人に「恕」を・・・
「恕」の心を忘れてはいけないのです。そうすれば自分の人間としての成長もみられるのです。

西洋では聖書にあります。
「自分がしてもらいたいことを、相手してあげなさい」
孔子は・・・
「自分されたら嫌だと思うことは人にしてはダメ」
2つの表現は裏腹ですが同じこと言っているのです。

「恕」=「思いやり」
「思いやる」対象は誰なのか? ⇒ 「自分自身」なのです。
高齢者や幼児や身体の弱い人やハンディのある人等と自分自身を含めた全ての人が対象なのです。
ただし、思いやるというのは、甘やかすというとではないのです。
「励まし」「磨く」「育てる」ことなのです。
自分が充実していれば、周りとの関係も良好になっていくのです。ひいては人間社会もよくなるのです。要するに何をおいても、先ずは「自分をきちんとする」のが最優先なのです。
これは「自己中心的」な考えでなのです。が現在に言われている「自己中心的」ではないのです。

自己中心で引き起こされた悪い事は、自己中心ではなくて、金銭的中心、欲望的中心、権力的中心、暴力的中心、等等なのです。
自分をどこかに置き忘れてしまった結果、引き起こされてしまったのです。
自分を失ってしまっているのです。
自分を愛する自己愛も、悪いことではなく、自分を愛し自分のことをよく見つめていれば、悪い事に走らないはずなのです。
自分に「恕」を持て!
自分を大切にできてこそ、初めて周りの人たちにも大切できるのです。自分を愛せない人間は他人も愛せないのです。
自己中心あるいは自己愛ということが自分形成の鍵なのです。これは必ず心に留めておくことが大切なのです。
人生で一番重要なのは、「思いやり」の精神で、それは他人だけではなく自分を大切にする一種の「自己中心主義」でるのです。

自分力では
「恕」=「思いやり」=人の心なのです。
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「自分の頭で考える」=「思考」=「意識」